観客席散歩の倉庫

 

l        二〇〇二年四月の芝居の倉庫

 

 シアター・リパブリック「笹塚颱風」シアター・リパブリック笹塚スタジオ 2002/4/29  2002/4/30

残念な部分が多かったですね、なんだか全てにおいて中途半端な感じで・・・

芝居でもなく、コントでもない、シュールにもパロディにもなりきれず、ブラックでもない、で、面白いかというとそうでもない。

演っている人たちの力の問題だけではなく、もうすこし構成を考えて、どこか徹底してくれるともっと笑えるものになったのではないかと思いますが・・・

あれだけ広いスペースがあるのですから、芝居としてやるのなら舞台の構成などを考えて暗転を減らしスピーディに話をつなげるとか、コントとするのなら暗転にする必要は無く、明るいままで次々とコントを繰り出してくれるとか、そして全体のスピードアップはやはりどちらでも必要だとは思いますが。

話の中には面白い部分もあるのですから、ダラケルことなくポンポンとやってくれたらそこそこ面白いのではと思えたのですがね。

長く間を取るというのとダラケルのは違います、そこに緊張感の走った長い間は芝居を高めますが、ダラケタだけの長い間は観客の欠伸しか誘いません。

二週間足らずで第二弾の上演を予定しているようですが、次回はその辺りの改善を加えた、もう少し練れた質の高い創りをしていただけたらと願っています。

 

 

フォーリン・プレイ・シアター「スピノフ」駅前劇場 2002/4/29  2002/4/30

たぶん面白い本なんだろうなとは思うのですが・・・

原作のせいなのか、訳のためなのかは判りませんが、台詞がこなれてないというか矛盾点が多いのが気になりました。

前半部分はそれでもまだ我慢できるのですが、後半の展開が速くなる部分やオチの部分に特にその矛盾が出てきて、観客に何故、の?を連発させてしまうのです。 この何故は物語の展開に対する観客の興味であれば、観客を芝居に惹きつける要素となるのですが、それが役の設定などに関する ? である場合には、観客の芝居に対する興味を失わせてしまう疑問以外のなにものでもないと思うのです。 たとえばオチに関する部分などでも、先が読めてしまうのはしょうがないとしても、その説明がされる部分で、旅行の専門家が居るのに飛行機のチケットの話をするのは銀行屋だったり、その予約取ったはずの旅行代理店の人間が週に一便しかない飛行機をウッカリ忘れて、翌日のフライトの無いチケットを取っていたり、リオまで飛べる民間機を手配できる人間がわざわざ閉鎖されている空港から旅客機に乗ろうとしたりと、数え上げればきりが無いのですが、とにかく観客の生理に反する部分が多くて観ていると ????の嵐となってしまうのです。 そしてその全てが「いやー、ウッカリだなァ」の言葉で正当化されようとしているのもまた、生理に反してしまう。 もちろん冒頭からこのウッカリをキーワードに構成されているのは解るのですが、全部それで片付けられてもねェ・・・という感じです。

また、日本の旅行社では入金が無い限りはチケットを渡さないと思うのですが、航空料金は後払いと説明されるなど、システムの違いもあるようです。 映画ならそれでいいと思いますが、翻訳劇の場合は向こうのシステムにこだわるのではなく、観客に生理的にすんなりと受け入れられるようにこちらのシステムに合わせながらも原作の表現を損なわないように翻訳してくれると嬉しいと思うのですが・・・

まあ、個人的には久々に若くて計算のない芳川優子さんの演技を観られて嬉しかったのですが、Wキャストのもう一組はどうだったのか、なかなか気になる芝居でした。

 

 

オークス「とびっこ」タイニイ・アリス 2002/4/20  2002/4/21

久し振りにタイニイ・アリスの客席に座りましたが、こんなに座り心地が悪かったかなと思うほどお尻が痛くなりました。 そんなに長い芝居ではなかったのに・・・

これはあながちアリスの椅子のせいだけではないように思います、芝居自体があの狭いアリスのアクティング・エリア内だけに留まってしまい、客席を包み込んでくれないというのがじれったかったことも有ると思います。

台詞は確かに芝居を構成する重要な要素だとは思います。 でも、台詞ですべて説明されてるような芝居は観客から観るとなんだか遠い世界で起こっていることのようで、芝居に引き込まれていかないんですよね。 たぶんこれ、ラジオドラマか詩の朗読のようにしてくれていたら、もっと観客の心を揺さぶってくれたのではないかと思えます。

芝居なんでしょうけど演劇的ではないというか、観客の心をストレートに動かしてくれないで、頭で理解させようとしているという感じなのです。 台詞で説明されている事で役者さんたちが安心してしまって役の心で動く事を放棄してしまったというか、自分はこう思うのよという考えだけを伝えているというか、とにかく役が役として生きて動きまわっていないんですね。 この下に書いてあるAttic Theater「にもかかわらずわらうこと」と、ちょうど正反対と言う感じです。 あちらは気持ち入りまくりで・・・って感じでした、いい塩梅というのは難しいものですね、どちらの芝居も友達が車に撥ねられる場面から始まり、撥ねた車の運転手も死んでしまうという設定なのが僕の中では実に興味深いところでした。

 でも、天使はその中でも最高でしたね、この芝居はあの天使さんに救われた部分が大きいのではないかと思います。

どんなに語られた台詞よりも、あの天使さんの「良かったですね」という笑顔に僕は心を動かされました。

 

 

Attic Theater「にもかかわらずわらうこと」OFFOFFシアター 2002/4/15  2002/4/17

月曜の夜、広いとは言えないOFFOFFに立ち見を含めて100人以上の観客を集めての舞台でした。

芝居としては面白いのですが、なぜか観客席からの笑が少ない。 これは人の生き死にを題材にしているせいもあるかもしれませんが、それ以上に演じ方の問題かもしれません。 設定が瀬戸際の芝居になっているので怒鳴り台詞になってしまう部分が多く、また芝居をリードしていく瀧川くん演じる幸男の芝居が力一杯なので、観客が肩の力を抜く事ができずカチコチになって観ているので、面白いところでもクスクスとくる程度、笑の連鎖が巻き起こらないのです。 僕は瀧川くんのいつも力一杯演じてくれる姿勢が凄く好きなんですが、この芝居に関してはそれが裏目に出てしまったように感じます。

史郎が危篤で危ないという部分の中でも、離脱中は大丈夫だということが観客にわかった後はその部分の緊張を解いてくれると、危ないときとの落差がもっと強調されて感じられるでしょうし、観客も肩の力が抜けて、安心して笑えたのではないかと思うのですが・・・題名の『にもかかわらずわらうこと』というのはそういうことなのではないでしょうか。

とにかく観終わったときには僕の肩はコチコチになっていましたので、終演後に瀧川くんにそのことを伝えて帰ってきましたが、千穐楽の舞台はどうだったのでしょうか。 ともあれ、もう一度観てみたくなる芝居ではありました。

 

 

トランス☆プロジェクト「不完全な空」於ザムザ阿佐ヶ谷 2002/4/6  2002/4/17

旗揚げのときと同じ劇団を舞台にした芝居にしてありましたが、今回は旗揚げの時の説明不足や、劇中劇の公演を成功させるために皆が妥協したような感じはなく、性同一性障害(GID)を言葉として知っているけど正しく認識されてない人にも、その心の叫びが伝わる芝居に仕上がっていたと思います。 ただ、GIDの葛藤と役者としての葛藤の二重構造になってしまい、彼(彼女)がなぜ事あるごとにそのことを感じさせられる役者という仕事を選んでしまったのか、という部分が明確ではないので、観る人によっては疑問が残る部分もあると思います。 まあ作り手にとっては、それだけに芝居にし易い設定だったのだろうとは思うのですが、予定調和の部分と共にちょっと安易に設定されすぎた気もします。

芝居としての技術の完成度だけで云えばまだまだ低いとは思えますが、素直に演じられていることが救いになっているので、僕は存在意義のある芝居、心を伝えるという芝居の一つの在り方だとは思っています。

 

 

 

l        二〇〇二年二月の芝居の倉庫

 

 NILプロデュース「金曜日のベンチ」於神楽坂デイプラッツ 2002/2/17  2002/2/18

戯曲と台本の違い、と言うと皆様はどんな風に感じますか ?

同じだと思う方もいらっしゃると思いますが、僕にとっては全然違うものなのです。

戯曲はその読み手によってとらえかたはいろいろに変化するもののその根本は作者が改定を加えない限りかわることはありません、翻訳家が自分勝手な解釈や思い込みを持ち込まない限りにおいては。 で、台本はというと、制作、もしくは演出家が数ある戯曲の中から自分たちがその本を通して表現したいこと、伝えたい事が書き表されているその戯曲を選んだ時から台本となり、役者達はさらにその上に自分達の表現を上乗せして、制作・演出の意図を倍化させ劇団としての表現とする下敷きとなるものだと思っているのです。 

で、プロデュース公演であるのなら制作の意図がまずキーポイントです、この本で制作の意図に沿った演出をするならこの演出家にとか、そして選ばれた演出家は制作と相談しながら、知りうる限りのうちで最良のキャスティングをするのが基本の仕事であるとも思います。

なぜこんな事を長々と書いたかと言いますと、観せていただいた芝居がただの海外戯曲の紹介に終わっていたように感じてしまったからです、それがNILの第一義だというなら成功かも知れませんが、同じ紹介でもこの戯曲はこんなに面白いんだと (喜劇という意味ではありません、念のため !!) いうように観せてくれなければ目的に合わないような気がします。

今回の芝居が単に戯曲の紹介に終わっていたと言うのは、人間の一番人間らしい部分を凝縮して扱っているのに、三人の出演者にその人間らしさが溢れていない点なのです。

そういったものを表に出さないという計算なのかもしれません、しかし計算ならもっと全てを計算し尽くして欲しいんですよね、頭から終わりまで、本の一字一句、句読点、行間まで・・・中途半端な計算は芝居を殺しますし、観客を飽きさせます。 それならまだ、役者個々の感性溢れる芝居を観せていただいたほうが良かったような気がします。

照明や音響も含めて、全てが一つの方向に向かってこそ良いものができると思うのですが、とりあえず総合芸術と言われているのですから・・・

   「金曜のベンチ」追記 2002/02/20

結局、何が言いたかったのかというと、自分で戯曲を読んでいるほうが面白く感じられたのではないのかな、ということなのですが。

 まあ、芝居そのものよりも頭にきたのは、隣の席で写真を撮りまくっていた金染髪青年ですね、確かに撮影お断りのアナウンスはありませんでしたが、開演時は観客を装って静かにしていたのですが、開演してから5分程すると足元に置いたリュックをゴソゴソ、まず露出計を取り出し露出を測り、その後一眼レフを取り出してパシャパシャと撮り始めました、消音対策もしていないカメラで、レンズ交換までしながら !

許可を取っての撮影であるのなら最初からカメラを構えていればいいのであって、開演後にカメラを取り出す必要は無いわけですし、そうされていれば僕も最初から隣の席に座るのは避けていたと思います。

しかし、そうでなかったことを見ても出演者の誰かに依頼されたか関係した、明らかに無許可の撮影であったと思われます。

そのせいで芝居に集中できなかったのは観客の僕だけではなく、出演者もまた然りであったのではないでしょうか、それでこんな感想書かれちゃうのも可哀相だとは思いますがね。

 

 

オフィス薫付属声優養成所「孔雀館」於オフィス薫稽古場 2002/2/11  2002/2/12

本公演ではなく9期生の卒業公演と言う事なので同列に並べるわけにもいかないとは思うのですが、お若いこれからの皆さんのためになればと、気になった点を書かせていただきます。

こういった公演の場合同じぐらいの年齢の方ばかりで年齢幅のある役をこなさなければならず、どうしても年齢設定の高い役を振られた人はその役柄にとらわれてしまうようですが、それでうまくいった例はごくまれだと思います。

前回の炭ズのときにも書きましたが、この芝居も見掛けの役柄にばかりこだわるのではなく、その役は何を考え、何を表現し、何を伝えればいいのかという役の役割をもっと深く考えて表現し、伝えてくださろうとしたなら、もう少し単調にならずに観客を惹きつけていけたのではないかと思います。

さすがに声優養成所ですので、基礎になる部分はしっかりとやられているようですが、それを使って伝えるべきものがハッキリと役者個々の内に無ければ何も伝わってはこないのです。 細かい芝居の技術なんかはその分析がシッカリできていれば自然とでてくるし、演出が引き出してもくれると思います。

覚えた台詞を正確に言うというのは、確かに役者の仕事の一つではありますが、それは何のために?という部分をもっと考えていただけたら芝居はもっと素晴らしいものになっていくと思うのですが・・・やはり若い人たちには、巷に溢れる「仏作って魂入れず」芝居は乗り越えていってもらいたいと思いますね、これから先のためにも !!

 

 

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