観客席散歩の倉庫

 

l        八月の芝居の倉庫

風の市プロデュース「白痴の空歌」於テルプシコール 2001/08/26  2001/09/2

アップが遅くなってしまいましたが、聴覚障害者による舞台を観てきました。

不思議な体験でしたね、元来僕は台詞なんてどうでもいいと思っている人間ですので、言葉が発っせなくても芝居はできると思っていたのですが、この芝居の最中、何回か発していないはずの言葉が言葉として聞こえてきました。

もちろん役者さんたちは演技をしながら手話で台詞を言っているのですが、僕は手話は英語程度にしか判りませんので、手話を理解できたというわけではありません。

ところが確実に言葉が言語として響いてきたのです、それも一度だけではなく何回か・・・

ちょうど二十歳のときに外国籍の船の中で字幕のない洋画『スィート・チャリティ』を観たときと同じ感じでした。

このときは英語が解らないのに、観終わったときにポロポロと涙を流している自分が居て、役の気持ちや内容を伝えるのは言葉の意味ではなく、その心なのだ ! と気付かされたのです。

それからは台詞の意味を伝えるとか、言い方を考えるのではなく、その台詞はそのときの役の気持ちや状況を伝えるための道具であって、重要なのはその伝えるべき気持ちや状況をしっかりとその役が持つ事だと思ったのです。で、その為の道具なのだから台詞なんてなんでもいいんだと、なんでもいいんだから台本に書かれているままでいいんだと思い始めて、この台詞はおかしい、とか、こんな台詞は言わない、とかは言わなくなりましたね。そう思うのはあくまで自分がその役を的確に把握していないからだと、そう思うようになりました。

そしてこの芝居のように、的確に役の気持ちが表現されていれば、それはすべて観る人の心に響いてくるものなのだと、再確認できた芝居でした。

 

 

東京あたふた「ペコ」於千本桜ホール 2001/08/19  2001/08/25

アップが遅くなったのには、実は訳がありまして・・・いや、忙しいというのもあったのですが、それよりも客入れのときにチョット不愉ま快な事があって、その勢いで書いてしまってはマズイのではないかと、少し時間をおいてみたのです。

僕はすでに眼と耳に老いが来始めているので、自由席の場合は早く行って自分の観やすい席に座る事にしているのですが、この劇団では中程の席に座ろうとしたら壁際から座ってくださいと言われてしまいました。

なんで? 自由席でしょ?! と思いましたが、喧嘩をしにきたわけではありませんので言われたとおりにしましたが、案の定壁に反響して台詞の聞き取りにくい事この上なかったですね。

客入れの都合でそうしているんでしょうけど、観客にだって理由があって早く行っているんだということを全然理解していないという感じでした。 前に游劇社での客入れのときに若い人が同じことをしたんで怒ったことがあります、「早く来てくれたお客さんには自分の好きな席で観せてあげるべきだ、後から来たお客をうまく空いている席に誘導するのが客席係の仕事で、我慢させていやな席で観させるのが仕事じゃないッ!!」って!!

確かにこのホールは下手側の客席に後から入るのは大変な構造になっているのですが、このような扱いを受けるのはこの劇団だけですね。

で、芝居のほうですが、最後に逸話が一つ語られるんですが、その逸話を芝居にしてくれたら良かったのになァと思ってしまいましたね。

まえの部分の話は解かり難く作ってあるんですけど先が読めてしまいますし、かといって芝居で魅せてくれるのかというと、そうでもないんで、少しだらけてしまう部分が多く見かけられたのが残念です。

もう少し観客というものを理解していれば良くなる部分は多いと思うのですが、体質なんでしょうかね、劇団の・・・

 

 

ワイキキ「真夏の夜の夢」於ザ・スズナリ 2001/08/18  2001/08/18

いやいや、楽しかったですね!!

こんなに楽しい「真夏の夜の夢」はピーター・ブルック演出版の日本初演のとき以来です!  いや、原作の弱点を逆手にとって見せた分こっちのほうが面白かったかも・・・

原作の三重構造のさらに上を行く四重(五重かな?!)構造になっているのに、なんという解かり易さ、そしてなんという面白さ!!

こういう芝居を観せてくれる劇団がもっともっと増えれば芝居はもっとポピュラーになる、芝居を観てくれる一般観客は増えると思うのですが・・・でも、なんで旗上げ解散公演なんですか!()

続けてくださいよ、無条件で人に薦めることのできる芝居なんてそうそうないんですよ、この芝居は安心して人に薦められる芝居だと思いますし、安心して観られる劇団だと思いますから。

「いや、この芝居だからうまくいったんだし、次やったらとうだかわからない」と謙虚な事をおっしゃる方達の集まりのようにも思いますが、ぜひ劇団として今後も観てみたいという気にさせられたのは、客席の拍手からでも感じ取れる事実なのですから・・・

もし今日この記事をお読みになった方は、明日までやっていますので、ぜひご自分の目でお確かめください! 決して損はしないと思います!!

 

 

NIL「ダム・ウェイター~女性版~於タイニイ・アリス 2001/08/07  2001/08/08

うーん、難しいですね、いやこの芝居がというのではなく、配役を女性に換えて脚色するということが、なんですけどね。

まあ、この芝居のパンフ([本当はスーベニア・プログラムと言うのであって、パンフレットというのは日本人独特の誤った英語の使い方の典型的な例であるとパンフに書かれていますが、判り易いからパンフでいいよね)の「不条理劇について」という一文で、普通でないものが普通で、普通のものが普通でない。と説明されているのですが、僕はこれを日常と非日常と捉えているのです(「戦場のピクニック」参照してください)

もちろん大きな意味ではその部分は変わってはいないのですが、積み重ねとなる細かい部分、つまり男にとっての日常が女にとっての非日常になる部分、逆に男にとっての非日常が女にとっての日常になってしまうということがあって、これが違ってくると全体が違ってきてしまうので、逆に大きな部分を変えないと本来の戯曲から離れてしまうのではないかということなのです、「戦場のピクニック」のときもそうだったのですが・・・

それこそが固定観念なのだとおっしゃる方もおいででしょうが、その固定観念があるからこそ、それを逆手に取った不条理劇という芝居が成立したのではないでしょうか?

ま、なにも原作と同じことを表現しなければいけないということもないと思いますので、原作とは別の新たな芝居として楽しむのがよいのではないかと思います。

 

 

ビタミン大使ABC「ホームライク・ホームレスネス」於紀伊國屋ホール 2001/08/06  2001/08/07

いろんな意味で面白い芝居に仕上がっていると思います、役者さんもしっかりした技術を持った方々が揃っている、というかある程度のレベルに達した者以外は板の上に乗せないというハッキリした主張があるように感じられますしね。

ただ、それだけにお行儀のいい芝居のように感じてしまったのは・・・たぶん僕だけなのでしょうね、可も無く不可も無くという感じがしてしまったんですよね、なんでだろう?

僕自身は見栄もプライドもなく、やりたいことをやっているので、普段の生活でストレスを感じる事はあまり無いのですが、もしここに描かれているのがホームレスの実態だとしたら、僕はホームレスになったらもの凄いストレスを感じてしまうに違いないと思えてしまったのです。 そう思ったらなんだかとてもかわいそうになってしまって、僕自身はほとんど笑えませんでしたね、でも周りのお客さんがたは笑ってらっしゃいましたので、きっと面白かったんだと思いますが・・・これってやっぱり、この芝居が成功しているっていうことなんでしょうね、きっと・・・

 

 

池の下「戦場のピクニック」於タイニイ・アリス 2001/08/05  2001/08/05

昨日置きチラをしに行った時に、僕もその昔演出した事がある実に思い出深いこの作品の上演を知り、絶対に観たいと思って本日行ってきました。

客入れの時から始まっている序章は、今回の演出に合わせた表現でなかなか魅せてくれますし、今の時代の人向けにアレンジされた部分もさほど厭味ではなかったのですが、ラストの部分だけは僕とは解釈が違っていましたね。

僕はこの作品、異常な日常が正常になったの中での正常な日常は異常であり、その異常と見える正常な日常が終わっても、正常になってしまった異常な日常は正常な日常として続いていくのだ、と捉えていたのですが、今日の芝居では正常な日常は異常な日常によって異常になるが、その異常になってしまった日常も原因となる異常な日常が終わる事によって正常にもどってしまうのだというようにとれてしまったのですが、違ったのかなァ・・・

取り敢えずもう一度戯曲を読んで、整理してみたくなったお芝居でしたね。

 

 

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